こぼれ落ちる

脳みそで考えていることは、何処からか漏れる。

モロッコはタジンだと思っていた

ロッコ料理を食べた。

クスクスって、小麦粉からできていたのか。

某番組で、某芸人が、

小麦粉の塊を小さく丸めてコメのようにしていたことを思い出す。

 

たくさんのスパイスを使ったであろう鶏ひき肉が三角に包まれた春巻き。

 

トマトベースのソースにミートボール(牛肉)が4つ、まんなかに卵。

あれはたくさんのピーマンを使っているに違いないタジン。

 

何で煮ているのか不明だが、じんわりとお出汁が染み出す野菜のクスクス。

 

もちろん、各種お豆さんがたっぷりのトマトスープ。

 

器も大変美しかった。

 

「コマカイノナイデスカ?」

お札と、500円をぴったり出す。

「スバラシイ…」

 

なんと可愛い従業員か。

 

鼻筋がスッと通って長身。

ロッコは美男美女の国なのかもしれない。

 

ごはんの待ち時間

素敵なスペイン料理店を発見し、

こういうものは女子で行くものか、と勝手に定義づけ、

かなりたのしみにしていた。

 

省エネで生きる人を否定はしないが、

食べ物を前にして、

おなかがすいていないといわれることや、

相手のこだわりを感じ取れないことや、

アラカルトの意味をはき違えている場合、

ちょっぴり、というか、かなりさみしいものである。

 

テイクアウト、ファストフード、いろんなものがはやくなって、

それはそれでいいのだけど、

そもそもすぐに出るということは回転率向上のための作り置きであって、

本当に自分の為に作ってくれるときには、

それなりに時間がかかるものである。

その待ち時間は私にとっての至福。

 

ランチタイムなんかは、はやく提供してくれればくれるほど助かるが、

休日の食事は、

たとえ美食家でなかろうとも、

そういう雰囲気も含めて、たのしみなのである。という話。

 

恩返しは

何にでもコツがあって、

墓場まで持っていくことだってある。

 

誰かからしてもらった恩は、

次に返していけばいい。

 

兎にも角にも、

私は私のことを恵まれていると感じていて、

周りの人に感謝していて、

それを還元している「つもり」だった相手が、

私に対して感謝してくれているというのだから、

この上ない幸せ、達成感。

 

もっと肩の力を抜きなさいと言われても、

抜き方がわからない。

 

金曜日の夜。

音楽と戯れたい

三日坊主にもなれない。なんということでしょう。

 

アコースティックギターの音を久しぶりに聞きました。

私はエレキギターよりもずっと好き。

別に特段うまいとか、涙があふれるとか、そんなことはないのだけど、

そういうものがないと飢えてしまって、

そういうことができる喜びみたいなものに心躍るみたいな、

そんな光景を久しぶりに見たもので、

ああ、音楽ってやっぱりいいなと思った次第。

 

私がいるのが場違いのような、

特殊な空間であったけど、

そこでも普通に会話ができるのは、

自分の興味からか。

 

全く関係ないけど、

ポールダンスしたら体幹えらいことになりそうだなと思った。

疲れていてもピンヒールなんか履いちゃって

シャキシャキと歩けるようになるだろうか。

 

 

どうでもいい特技について

2018年の、忘れもしない、12月14日に、

私は私のことをよく知らない人に人格否定をされて、

こんなところにいても人生無駄だと思って辞表を出したい旨、

当時の上司に電話した。

 

田町のエクセルシオールで数時間にわたり上司に自分の思いのたけをぶつけ、

これにより上司はアポイントをキャンセルする羽目になったが、

よく覚えていないが辞表を出すことを止め、無駄な闘いを2年に渡って続けた。

 

その日の夜はよくわからないくらい酒を飲み、

よくわからない初めましての人に、

「私」視点の話をし続け、同情という副産物を受け取り続けた。

 

何の銘柄だったか忘れたが、

ウィスキーをご馳走になった。

 

もうどうにでもなればいいと思っていて、

正直今思うと、どの面下げてそんなこと言ってるの?と聞き返したくなる、

そんな話に耳を傾けた。

 

養えるなら、一夫多妻でもいいのではないか、というその話に。

話の主に稼ぎはなかった。

ただし、私の学んできた社会科学的な何かは、

そうした見方も否定はしなかった。

なんでもいいから、関係のない話を、心の底から欲していたのだろう。

 

その話の主が、

どうやら、稼ぎを得るスタートラインに立つことができたらしいことを、

今日、偶然知ることになった。

 

当時の私より、今の私は、

自分で言うのもなんだが、図太い寄りの繊細になっている。

役職おじさんばかりの中で闘うには、そこそこの体力がいる。

 

髪型だって変わった。

似たような髪型にしてきた後輩がいて、顧客に間違われるのが嫌だっただけだ。

彼女のほうがずっとチャーミングだった。

結局、籍を入れた彼女は、来るべきイベントに備えて、

そのつやつやの黒髪を伸ばしている。

 

十中八九、話の主は、

私のことなど覚えていない。

ただの、使い捨て、間に合わせだったのである。

 

要約すると、こうだ。

自暴自棄になっていた2018年の12月14日には、

話を聞いてくれる誰かが必要だった、それだけである。

感謝しないといけないが、私は話の主の、話の詳細まで覚えている。

自分の容姿にも、才能にも、知識にも、辟易としているが、

どうでもいいことに対する記憶力だけには自信がある。

 

もう少し、生きるにあたって、役に立つ特技が欲しかったものだなあと思う。

 

同僚を連れていなければ、

あのときのウィスキー・オン・ザ・ロックのお礼をすべきであった。

たとえ覚えていなくとも、

誰かにご馳走になったお酒というのはおいしいものである。

 

そのときは、

名前も知らない誰かだけが、

自分を保証してくれるような気さえしていた。

 

99パーセントわからなくても、

1パーセントだけでもわかれば、2にも3にもなるじゃないですか。

誰かにとって有用な話ができるようになるといいな。

 

そんな話に耳を傾ける今日とは、

全く違う冬の日だったと振り返る。

服の旬のはなし

今年の春にシャツを新調した。

汗かきにはチャレンジングな色、グレーをチョイス。

ある種の博打である。

 

素材はコットンとリネンが7対3の関係。

洗って乾いたあとの、独特の皺がリネンの存在に気付かせてくれる。

着心地抜群。安くはなかったが、いい買い物をしたと思っている。

信頼する知人の勧めは間違いなかった。

 

すっかり秋めいてきて、再びクローゼットから取り出す頻度が高まったわけであるが、

リネン、と聞くと、何となく春夏のイメージを抱いてしまう。

粗目に織られた生地や、

ゆったりとしたデザインのものが多いことがそれに拍車をかける。

 

リネンよ、本当のところはどうなのであるか。

 

実のところリネンは、熱伝導性がよく、綿よりずっと吸水性も高い。

断熱性の高い気体の代表である空気は、

リネンの空洞に上手に入り込み、移動する。発散する。

 

暖かい空気をリネンの中で移動させよ。

1枚ではスースーで頼りないが、ウールなどなど、

暖かい素材でサンドイッチすることで

その熱伝導性をいかんなく発揮する。

 

一方で夏場、我々は大量の汗をかく。

その水分を上手にコントロールする。

夏によし、冬によし。実は万能であったのだ。

 

仕事はスーツの為、私服を着る機会など週2日程度だが、

締め付けが過ぎる日々からの解放。

休日くらい着心地の良いもので過ごさせておくれよ。

 

何となく、毎日思ったことを書いてみることにしました。

別に意味はないけど、

自分が疑問に思ったこととか、興味をもったこととか、

感銘をうけたこととか、しょうもないことでも。

もう少し後になったら意味を持つかもしれないし。

あとはこぼれ落ちるようなマイ・ボキャブラリーを必死に拾い集める感じ。