こぼれ落ちる

脳みそで考えていることは、何処からか漏れる。

どうでもいい特技について

2018年の、忘れもしない、12月14日に、

私は私のことをよく知らない人に人格否定をされて、

こんなところにいても人生無駄だと思って辞表を出したい旨、

当時の上司に電話した。

 

田町のエクセルシオールで数時間にわたり上司に自分の思いのたけをぶつけ、

これにより上司はアポイントをキャンセルする羽目になったが、

よく覚えていないが辞表を出すことを止め、無駄な闘いを2年に渡って続けた。

 

その日の夜はよくわからないくらい酒を飲み、

よくわからない初めましての人に、

「私」視点の話をし続け、同情という副産物を受け取り続けた。

 

何の銘柄だったか忘れたが、

ウィスキーをご馳走になった。

 

もうどうにでもなればいいと思っていて、

正直今思うと、どの面下げてそんなこと言ってるの?と聞き返したくなる、

そんな話に耳を傾けた。

 

養えるなら、一夫多妻でもいいのではないか、というその話に。

話の主に稼ぎはなかった。

ただし、私の学んできた社会科学的な何かは、

そうした見方も否定はしなかった。

なんでもいいから、関係のない話を、心の底から欲していたのだろう。

 

その話の主が、

どうやら、稼ぎを得るスタートラインに立つことができたらしいことを、

今日、偶然知ることになった。

 

当時の私より、今の私は、

自分で言うのもなんだが、図太い寄りの繊細になっている。

役職おじさんばかりの中で闘うには、そこそこの体力がいる。

 

髪型だって変わった。

似たような髪型にしてきた後輩がいて、顧客に間違われるのが嫌だっただけだ。

彼女のほうがずっとチャーミングだった。

結局、籍を入れた彼女は、来るべきイベントに備えて、

そのつやつやの黒髪を伸ばしている。

 

十中八九、話の主は、

私のことなど覚えていない。

ただの、使い捨て、間に合わせだったのである。

 

要約すると、こうだ。

自暴自棄になっていた2018年の12月14日には、

話を聞いてくれる誰かが必要だった、それだけである。

感謝しないといけないが、私は話の主の、話の詳細まで覚えている。

自分の容姿にも、才能にも、知識にも、辟易としているが、

どうでもいいことに対する記憶力だけには自信がある。

 

もう少し、生きるにあたって、役に立つ特技が欲しかったものだなあと思う。

 

同僚を連れていなければ、

あのときのウィスキー・オン・ザ・ロックのお礼をすべきであった。

たとえ覚えていなくとも、

誰かにご馳走になったお酒というのはおいしいものである。

 

そのときは、

名前も知らない誰かだけが、

自分を保証してくれるような気さえしていた。

 

99パーセントわからなくても、

1パーセントだけでもわかれば、2にも3にもなるじゃないですか。

誰かにとって有用な話ができるようになるといいな。

 

そんな話に耳を傾ける今日とは、

全く違う冬の日だったと振り返る。